新型コロナウイルス。COVID-19。
1月末から話題に出始めて、今までずっと人々の心を閉じ込めてしまっているのは、誰も責めることが出来ないコロナウイルス。
(もちろん嘘や転売をしている人は許せん😤)
大学生である私は、春休みをうきうきとした気持ちで迎え、韓国旅行とすばるくんのライブ観覧を兼ねた台湾旅行を控えていた。
韓国旅行は2月に入ってすぐ、なんとか行けたものの、すばるくんのライブは中止になり、お友達と約束していた宿も飛行機もキャンセル、実家には帰ったが、友達に声もかけられず猫とひたすら戯れていた。🐱
アルバイトは諸事情により休みな上、大学も延期になり暇を持て余している。
それはそれで楽しい。おやすみだから勉強したり裁縫したり読書したり、もちろんエイトの映像をみかえしたり。
ただ、人と会えないのは寂しくて筆も進む。ノートにはモヤモヤした気持ちが連なる。
そんな中、母から届いたLINE。
「志村けんさんが亡くなった」
スッキリを急いでつけると、ハリセンボンの春菜が号泣していた。
居た堪れない気持ちでテレビを観ながら、母とLINEを続け、わたしはひとつ思い出を蘇らせた。
2018年のある日。
私は志村どうぶつ園の番組協力に参加した。
予定が合うのがたまたま志村どうぶつ園だったのだけれど、まわりは相葉ちゃんが好きな子たちだらけで、話し掛けてくれた人も相葉担で。
嵐はすきだけれど、お茶の間ファンの私は、
「志村さんを見に来たんです」と言った。
お笑いは生活に根付いていた。お笑い番組だけは欠かさない子供だったと思う。今もひとりでお笑いライブに行くくらい好きなのだが、ドリフターズももちろん好きだった。実はいかりや長介さんが1番好きなのだが、志村どうぶつ園は実家で毎週観ていたため、志村さんも好きであった。千鳥の大悟とも仲がいいこともあったかな。
「志村さんなんだ、珍しいね」
と、相葉担の女の子は優しく笑った。
くじを引くときから隣だったその子はたまたま観覧席でも隣で、
私たち二人だけが関係者以外で唯一の最前列だった。(みなさんごめんなさい)
素直に楽しかったのだが、
なによりスタジオの雰囲気が良い。
ひな壇側も仲良くちょこちょこ私語が飛び交い、志村園長と相葉ちゃん、山瀬まみさんもにこにこお話されていた。
(みんないい人そうだった)と私は思った。
終わったあとのことも、行った人だけしか分からないだろうけれど、楽しませようとしてくれている優しさがあたたかくて、ほんとうにいい現場だった。
あれ以来、ファンクラブ以外で番協には行っていないのだが、かなりの年月を経ても色濃く覚えている思い出なのだ。
そんなことをまた思い出し、(また行けたらいいな)と思った柔らかな願いはもう叶わないのだと思い知らされた。
あんなに素敵な穏やかな雰囲気は、きっと志村さんが園長だったからなのだろう。
もう、プリンちゃんやパンくんと笑う園長はいない。テレビをつけたらそこにいたバカ殿様も。
誰かが居なくなるのは、ほんとうに傷つくものなのだとこの2年、思い知った私はまた傷ついている。
どうか、関係者のみなさんが前を向いて行けることを願うと共に、この出来事が多くの人に自分の行動を見直す機会になることを祈っています。
楽しいものを見せていただきありがとうございました。ご冥福をお祈りします。