きっと守れるものがある

あらゆるものを好きでいます いまは8号車です

私が一度やめようと決めた、はてなブログに戻ってきた理由

はてなブログがすきだ。

はてなブログオタクとでも言うのだろうか。

🔎 ◯◯ はてなブログ で検索するのが趣味である。

大事な試験があり、Twitterをログアウトした。そして、Instagramのエイト垢もやめて、ついでにリア垢もやめた。(のちに小規模で作り直した)はてなブログも自分の気持ちを書いたひとつのエントリを載せて、そのまま開かなくなった。だけど、試験が終わってから、はてなブログを読むのがすきになった。SNSではわからない、深層心理みたいなもの。時間をかけて書かれた記事が、誰かに届くように書かれた言葉が、こうして今自分の元に届いているということがすごく嬉しくて。だから、私も、もう一度書こうと思った。自分でエントリを読み返すと、単純だし、私はすばるくんのことも、エイトのことも全然知らない。昔からずっとファンである人もそうだし、そうじゃなくても、応援する人全体を見ても知識が少ない方だと思う。長きに渡って好きなもの、ずっと熱量を保っているものがない。ゆるく追いかける、お茶の間の趣味が沢山。ジャニーズも然り。だから深くまで掘り下げて書けるものはない。だから、私がこうして書いているものがなんの意味も成さない、時間の無駄なのかもしれないとも思う。しあわせ、とか嬉しいとかたのしいとかありきたりな言葉しか言えない。

それでも読者として、ジャニーズのブログを書かれている人のエントリを読むとき。おもしろいと思う。わくわくする。誰もが大小それぞれのドラマがあって、日々のことを繊細に書いていて。推しのことを魅力的に書いて。ひとつの言葉が引っかかってくれることだってある。それくらいなら自分にも出来るかもしれない。

 

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箱推しってなんだろう。と思っている。

6人になった関ジャニ∞を見つめる中、私は、なにかズレを感じながら日々を生きていた。箱推しと言いながら、やすだくんがすき、とも言った。でも、やすだくんに対する感情はすばるくんに対する感情とは違う。活動を追いながら気付いた。私は担降りもできないし、掛け持ちも出来なかった。活動をしているエイトを、俯瞰していた。みんなを見ていた。遠くから。それでもたのしかったんだ。私は、6人に対して真っ直ぐにいいと思えていた。かっこよかったし、だれが何を言おうと関ジャニ∞関ジャニ∞。そして、5人になった関ジャニ∞に対しても同じ気持ちだった。でも、誰かひとりを選べないことも同じ。うちわも、目で追うひともいない。その代わり、すばるくんに関するトピックがあれば一喜一憂する。わがままに、5人に自分勝手に生きている。関ジャニ∞という看板があるから。関ジャニ∞が看板を掲げている限り私はeighterであり、ライブに行きたいと願い、歪んだ心情だとしても、すきで居続けると思う。十五祭の前に、はてなブログを休もうと決めて、そして十五祭を観終わったあとに、戻ってきたのは、「関ジャニ∞」という概念が、私の想像を超えるほどの大きなもので、ずっとずっと遠くにあるものなのだと悟ったからだった。私の頭の中では理解ができないことが多かった。だからはてなブログを読んで、誰かの思いを知ることが安心材料になったのだろうか。毎日、ふと浮かぶ思いを、心の中に留めておくのではなくて、インターネットという海に放ちたかった。誰に届かなくてもいいし、ポジティブに届いてくれたらもっといい。

自分が書いていることは、独りよがりで自分勝手で、どうにもならないことは知っている。だけど、私が関ジャニ∞とジャニーズをすきでいるためには、はてなブログを読むことも書くことも必要なんだと思う。

高3から別のブログで(閉めちゃったけど)お世話になっています、はてなブログ。これからもよろしくお願いします。